泡沫記

備忘録あるいは自分の背骨

Apple ID アップデートの通知が来る

パソコンは24時間つけっぱなしにしていて、今朝ふと気がつくとApple ID アップデート通知が来ている。パスワードを要求されたから入力したら、「このApple IDは有効ではありません」と赤字で出てきて、さっと血の気がひいた。Hackでもされたか???と。たまにAppleから誰かが接続試みてるからパスワードリセットしてくれメールが飛んでくることはあったが、放置してたのがマズったかと。ずっと使い続けてきた愛着あるアカウントだし、使えなくなったらどんな影響が出るかわからんと焦る。googleアカウントは大丈夫。これこそバンされたら一気に詰む。人生すら詰みかねない。最低限は無事だったので少し落ち着いて、Xでサーチするとどうやら2〜3日前から同じようなことが全国的に起きているみたいで、Apple本部のせいだと。待つしかないと判明。ようやく安心する。でもこれよくよく考えるとずっと金玉を握られてるようなもんだよな。鬼滅の刃でも「生殺与奪の権を担任に握らせるな!」と言っていたが、まさにこのことか。AppleにしてもGoogleにしてもアカバンで1発アウトの状況は望ましくないと思うんだけれど、かと言って別の方法が思いつかない。アカウント分けてのリスク分散か。それはそれで管理が非常に面倒くさいと思うのだが、本格的に対処必要かもしれないと思った。それにしてもこのアップデート通知非常に五月蝿いかつ心臓に悪い。本当に治るんだろうな・・・。

WordPress に Google Search Console を設定した

この年明けから結構真剣にBlogやろうと決意して、アイデアを練り、ある程度方向性が固まったので、ドメインも取得、レンタルサーバーも契約してWordpressをインストールした。記事を書く前にセキュリティ対策、SEO対策も考えながら構築中。で、Google Search Consoleのことを初めて知り、設定を試みる。検索したWeb記事通りに設定したのだが、サイトの所有権の確認がうまくいかない。記事ではHTMLタグによる確認だったのだが、その通りに設定しても「メタタグが見つからない」とのたまう。手を替え品を替え色んなところにメタタグを貼ったり消したりとやってみたのだが、ダメ。ならば他の方法だとHTMLファイルのアップロードによる所有権の確認を試みる。ところがこれもダメで。指示通りドメインのルートフォルダにアップロードしたはずなのに、これも見つからないとのたまう。ルートフォルダってどこのことだよと探し回り、結局のところ、ドメイン名/public_html フォルダだったわ。ここにアップロードしたら、ようやく所有者ですと認めてくれた。はるか昔にblogの設置やらHP作成やらの経験値があったからこそ解決したものの、それがなかったら途方にくれて諦めてたぞ。散々失敗して結局形にならなかった経験だが、こんなところで役に立つとは。なんでもやってみるものだなと昔の自分に感謝する。さてようやく記事を書く環境が整ったので、これからガンガン記事を書いていこうと考えている。はてなblogでやろうかとも迷ったが、ある程度話題特化型Blogでもあるし、こっちは雑記のおっさんの愚痴を吐く場所として残しておきたかったから、別のやつを作った。頑張って仕上げていこうっと。

モーニングページ2週間経っての感想

今日でちょうど2週間のはず。うち1日目は半分の量、直近2日ほど集中できなくて1~1.5ページだったりしたものの今日は3ページ復活。書くことは途絶えることなく続けていて、低回転・一定出力にも徐々に慣れてきた。心がわさわさする焦った時ほど書くべきだったんだろうが、仕事が溜まりすぎていて書くどころじゃねぇと感じていたので、そこは素直に書くのを断念して仕事の準備をした。2週間続けてみて感じたことは自分のフットワークが軽くなったなと。面倒くさがることが少なくなった。心のデトックスができて身軽になったんだろう。あと日々の生活を楽しめるようになった。今日はこれしてみよう、今日はあれしてみようと、ちょっとずつ行動しつづけているから、気分も変化し続けていて、楽しいと感じる。若いときに知っておきたかったなぁというのが正直なところだ。そしたらあんなに面倒くさがって停滞し続けていた日々が大きく変わっていただろうにと、後悔先に立たずってやつで。そういや今朝は水性ボールペンのインクを1本丸々使い切ったのだった。これもまた継続してやってみようという気持ちにつながる。効果でかいな。実行してみて速攻で体感できるし、万人におススメできる。

英語で日記を書く、で思いついたこと

モーニングページがまだ続いている。コレで6日目のはず。ダブル3日坊主か。読み返さないようにはしているけれど、まずは3ページ書くことに主眼を置いていて、時間は気にしないようにしているが、だいたい40分ペースか。思考の低回転トルクでダラダラ書くのがベスト。変に考えると指が止まるから、思考するのと吐き出すのは別のモノなのかもしれない。でもモーニングページ書いてるといいなと思う思いつきやアイデアがポロッと出てきたりするんだよね。思考と思いつきはまた違うのか。そんな気もする。このブログもモーニングページの勢いそのままに書いてて、これをChatGPTで英語に直してそのまま記事を載っけると言うのも英作文日記みたいでいいかもと思ったんだよな。英語で日記書こうと思ってもなかなか表現が出てこないとか、言いたいことが言えないとか、心理的ハードルが高くて行動に移しづらいし続かないんだけど、こうした愚痴自体を日本語で書いてChatGPTに流すってありじゃないのかなと。自分の言いたいことだし、それを英語にしてその表現をまず覚えていくこと、こういう勉強方法もありなんじゃないかと思う。で、実際にやってみよう。

The morning notes are still going strong. This should be the 6th day. Avoiding becoming a double three-day quitter. Although I make an effort not to revisit them, my focus is primarily on writing three pages, disregarding time, but it takes roughly 40 minutes. It's best to leisurely jot down thoughts with a low rotational torque of thinking. If I overthink, my fingers pause. Maybe there's a distinction between thinking and expressing; at least, that's how it feels. Yet, when writing morning notes, spontaneous thoughts and ideas often pop up. Is there a difference between thinking and coming up with ideas? It feels that way, too. This blog is also written in the momentum of morning notes. I thought it might be interesting to directly translate this into English using ChatGPT and post it as an article, creating something like an English writing diary. Even though I've considered writing a diary in English, the challenge lies in struggling to find the right expressions, not being able to convey what I want to say, and facing a psychological hurdle that makes it difficult to act and sustain the habit. However, I wonder if venting these frustrations in Japanese, then flowing them through ChatGPT, could be a viable approach. It's expressing what I want to say, learning the expressions in English, and I believe it could be a valid study method. So, let's give it a try.

そのまま流し込んだのが上記だ。単純に自分で読んで面白がってる。なるほどこう言う表現なのか、とか、こう言う単語使うのかとか、本当にコレが自分で言いたい内容とピッタリ一致するのかは別として、とりあえず気軽に形をつけるのにはいいな。

だってね、車の中でChatGPTと英語で会話しようにも、自分は何を喋っていいかわからないし、内容は思いつかないわ、その表現は出てこないわ、で、こっちが黙ってたらアイツは何か喋ってくるわ、遮ることもできないわで、うまくリズムが噛み合わない。会話って高度なんだなと思ったよ。ただのやり取りなのに実は色んな気遣いがあったんだなと気付かされるという。何か病気してリハビリで歩くってこんなに大変だったんだと気づいたみたいな。何か面白い。これしばらく続けてみて表現できる英語を増やしてみようと思う。

I find it amusing just reading what I fed into ChatGPT. It's interesting to see the expressions and words it suggests, even if they perfectly match what I want to say or not. It's a casual and easy way to give shape to my thoughts. Because, you know, even when trying to converse with ChatGPT in English in the car, I find myself unsure about what to say, unable to come up with content, and the expressions just don't come to mind. If I stay silent, it starts talking, and I can't interrupt it, leading to a mismatch in rhythm. Conversations are sophisticated, I realized. It's more than just an exchange; there are subtle considerations involved. It's like realizing how challenging it is to walk during rehabilitation after being sick—it's unexpectedly difficult. It's intriguing. I plan to continue this for a while and try to expand my English expressions through it.

モニターが映らなくなる

掃除をした時に、うっかりコンセントを抜いてしまって、モニタの電源がダウン。それが原因なのか、USB-C経由で画面が映らなくなった。ケーブルがやられたかと、わざわざ電気店へケーブルを買いに行って交換してみたが、信号なし。映らず。 HDMI経由なら映る。どうやら回路をやってしまったらしい。これなぁ去年買ったばかりなのに、電源が落ちたくらいで回路がやられるなよ。脆弱すぎるだろう。凹む。6時間以上電源抜いて放置してリセットしたら治らないか、万が一にかけてみる。勝ち目は薄いけれども。せっかくいい感じで環境が整ったのになぁ。まぁ最低限のことはHDMI経由でできるから良しとしても利便性が大幅に下がるね。頼む治ってくれい。

結局無理だった。HDMI経由でつなぎ、USB-C--HDMI変換ケーブルで昔から使っていたモニタにつないで、現在、ノートパソコンのモニタ+モニタ2台のトリプルモニターで運用中。3つも使うと何かできる男になったような気がして気分がいい。

モーニングページを始めることにした

オレにしては偉いよね。朝5:30起床。すぐに机に向かってモーニングページを書く。3日目。三日坊主で終わるか、明日も続けられるかは自分次第。やり方は人それぞれなんだろうが、今のところA5ノート3枚という形で落ち着いた。1日目は20分と言う縛りで3ページ書いてみて、いやこれ無理だろうと思ったので、1行おきに書くというごまかしでやってみた。2日目、なんだか書き足りない気がする。1行おきに書いて約900文字。英語で900wordsでA4で3枚分くらい、それを日本語に換算するとだいたい1800文字くらいなのではという記事を読んだので、やはり1行おきではダメか、びっしり書けば1800文字くらいになるからと書いてみたのが今日。書いたなという満足感はあった。20分という時間の縛りではなく、量に重点を置いた方がいいみたいだ。確かに頭のデトックスにはなるか。いい1日のスタートが切れる気もするし、自分のやりたいことが徐々に明確になっていくのを感じる。この面倒くさがりがポジティブになって新年効果もあるけれど、色々新たなことを取り組んでいるんだから大したものだと自分を褒めておく。これからも続ける予定だ。ひとまず目標は2週間は読み返さずに続けると言うことだな。

X280 + Pop!_OS にした

まぁ日和ったよね、という言葉が正しいのかわからないが、Arch Linux のシンプルさに自分のスキルが追いつけなかったって感じか。で適当にいじって遊んでもそれなりに使いやすく、いい感じに処理してくれるOSに気持ちが傾いてしまったわけで。今遊んでいるのはPop!_OSである。Web記事でとてもいいぞというのを見つけて、どんなものなのと興味をもってInstall。確かになんか知らないけれど使いやすいという手応えがある。これは何だろう。この感覚の差はどこから出てくるのかよくわからない。Archだと「良し、使うぞ!」と身構えていたのが、Popだと気軽に立ち上げられるというような。こちらにいらぬ気を使わせないようにいい感じで処理してくれているんだろう。本来Linuxは自分でその域までカスタマイズするのが醍醐味なんだろうが、そこまでのスキルがなかったのとそれをこなす気力体力が加齢により衰えてしまってたのが主な原因だ。まぁこれでしばらく遊ぶ予定だ。