泡沫記

備忘録あるいは自分の背骨

小さな一歩だが大きな一歩

DjangoというPythonのwebフレームワークをチュートリアルで勉強中。Webアプリを作りたいな、Pythonが使えるようになりたいなと2つの欲望を同時にかなえられそうなのが Django だった。本家のチュートリアルは(7)まであり、現在(4)まで修了、最後までざっと眺めて、山場を超えた?っぽいので現在復習中。が、単にチュートリアルの指示通りにやっているだけだと何の手応えもないし、これができるようになったという自信もない。ただ入力し動きを確かめているだけ。これではいかん、復習が必要だともう一度やり直している。

復習その1 写経する

パソコンでポチポチ入力するのもいいが、昭和生まれの私はアナログのノートが一番しっくりくるようで、ノートに書き写す。今までわからなかったこともあらためて書くとなぜか納得しやすい。特に一覧性に優れているのがいい。パソコンだとエディタのタブをあちこち移動して確かめなければいけないが、ノートだと見開きですべてのコードを見ることができるので、関係性がつかみやすいのだ。

復習その2 変数名を変えてみる

チュートリアルを単にそのまま写すだけだと自分がどこをいじくっていいのかわからない。自分で勝手に命名していい変数なのか、もうすでに定義されている変数で名前を変えてはいけないのかはっきりしないので、適当に名前を変えてコードを実行、結果を確かめている。ここはいじっていい、あそこはだめと徐々に理解が深まる。これをやって Django の views.py と urls.py のつながりがようやくつかめた。ついでに関数の使い方もおぼろげながら見えてきた。

復習その3 アウトプットする

どんな形でもいい、自分の言葉にしてアウトプットすること。他人から見れば大したことないことでも、やってる本人からすれば大切なことだったりする。それを記録することで自分の血肉になる。年を取ると本当に物忘れが激しく、以前はできたこともすぐに忘れてしまってできなくなるから、記録することが必要なのだ。以前、悟りのごとく「なるほど!そういうことか!」と色々知識がつながったことがあったけれど、記録してなかったせいで何がわかったのかすらわからなくなってしまった。阿呆である。未来の自分は見知らぬ他人で、その他人に向けて親切丁寧に教えるように記しておくこと。

いろいろ弄って「お!わかるぞ!」という手応えがあった。自分の仮説どおりに動いたときは嬉しかった。自分にもできると確信を持てた。これならなんとかやってけそうだ。やってみたいことからするとほんのわずかで小さい1歩なのだけど、目的地に到達するには絶対に必要な1歩。これを繰り返していくことでいつの日かそこへたどり着けるはず。亀の如き歩みでも歩き続けようと思う。