読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Bubbles in a pool

よどみに浮かぶうたかた

日本国憲法が面白く感じる日が来るなんて

年取るにつれて嗜好が変わるのはよくあること。食いもんだったら脂っこいものからあっさりしたものへとか、音楽もガンガン系からしっとり系へとか、ある。読書も学生時代にはよくわからない、面白くない、つまんない、と思っていたものが大人になると急にわかったりしてな。が、まさか日本国憲法を面白く感じるとは思わなかった。ちょっと新たな回路が開かれたか?

そう感じるようになった伏線というか予兆はあった。


このマンガに出てくる清く正しくたくましく生きる女子高生、久未十和子(くまとわこ)の台詞「憲法第14条 すべて国民は法の下に平等であって人種心情性別社会的身分又は門地により政治的経済的又は社会的関係において差別されない ヤクザがなんぼのもんか」コレに惚れる。


独立国家のつくりかた (講談社現代新書)

独立国家のつくりかた (講談社現代新書)


今ある憲法や法律をそのままに独立国家をつくった坂口恭平。「だから、僕は言うのだ。社会システムや法律や土地所有や建築や都市計画を変えようとするな、と。何かを変えようとする行動は、もうすでに自分が匿名化したレイヤーに取り込まれていることを意味する。そうではなく、既存のモノに含まれている多層なレイヤーを認識し、拡げるのだ。チェンジじゃなくてエクスパンド。それがレイヤー革命だ。」なるほど、憲法や法律はこうやって読んでいくんだ、と学ぶ。


日本国憲法

日本国憲法


Kindle日本国憲法が無料Top100の第8位(1/30現在)。なぜベスト10入りしているのか謎。やはり日本という国に危機を感じているのか。改憲騒動もずっと続いているし。ダウンロードする。

で、あらためて読んでみて感じたこと。ひとつひとつの言葉をじっくり読み込むと味わい深いな。てんで無味乾燥だと感じていた学生時代、単なる字面しか知らなかったんだな、と。この憲法にどんだけの物語が隠れているかも知らなかったし、これから新たに自分でどれだけ物語をつくれるかにもワクワクする。折に触れ書き散らかそうと思う。

車の運転のお話

仕事場が遠いので車通勤、山道を行ったり来たりの日々。周りは大変でしょうと言ってくれるが当の本人はそうでもない。運転は苦じゃないし、ひとりきりの時間が持てる。誰にも邪魔されずゆっくりできる。仕事帰りに真夜中、何も考えず車を走らせているときが、一番リラックスしているときだ。

最初の頃は山道が怖くて仕方がなかった。しょっちゅうハイビームにして先の方を照らしつつ、常に道を確かめながら走っていた。慣れた今は、照らされてない闇には何が潜んでいるんだろう、いきなり知らない風景に変わってないかなとか夢みたりする。ごくたまに、脳みそが勘違いを起こしてるのか、見知っているはずの道が全然知らない道に感じたりして、アレ?というときもあるけど。軽いボケの始まりか。

だんだん運転技術自体にも興味が湧いてくる。曲がりくねった道はどこに視線を置けばいいのかとか、無理なくスマートに走るためにはとかいろいろ考えながら走っていた。もっと若ければ「頭文字Dだ」と言わんばかりにドリフトに手を出したりしたんだろう。が、1年で3回パンクしてタイヤ交換を経験した身からは、金がかかって大変だなという感想しかなくて。年とると、スリルとスピードという言葉は安全と金という言葉に変わるのだよ。

毎日走るからそれなりに運転は上手くなったんじゃないかな?道幅を大きく使うとか、カーブは多角形的に曲がるといい感じとか、重心の移動を感じつつハンドル切ってアクセル踏むとか、そんなことを学びつつ。運転が上手い車と一緒に走るとランデブーといった感じで面白い。どこでブレーキングしてるのか、どうルート取りしてるのかもわかるし。

今はひとりがいいけれど、そのうち助手席に誰か欲しくなるんだろうか?

このBlogの方向性が定まる

新年にもなったし、このBlogをどうしていこうかとつらつら考えていて、それは去年の2〜3月に毎日書き続けたときにも自分の中から出てきた問いで、書くこと自体を目的にしたらクソ役に立たないモノを量産しちゃってまったく意味がない。何か書く意義、書き続ける意味が欲しいという至極まともなことを考えた。で当時いろいろ模索したけれど、結局書けなくなってうやむや。アプリの紹介やiPhoneの使い方とかの記事にアクセスが多いから、その方向で人様のお役に立とうかとも思ったが、何か違うなと。そうそう自分にiPhoneiPadネタがあるわけでもなし、強みや武器があるわけでもなし、自分の出る幕はないだろう。じゃあ何がしたいんだと。わかんない。何がしたいのかわからないけれども何かむずむずするからなぁ、さてさてと思ったら、ようやく出てきた答え。

「自分は文章だけでどこまで行けるのか」

寺山修司がこう言っている。

そのかわり私は、詩人になった。そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝めし前でなければならないな、と思った。
寺山修司 ポケットに名言を

Tom Waitsもこう言っている。

”I like to think that my main instrument is vocabulary.”

自分に詩人や小説家の才能の欠片もないことは知っている。ただ費やした時間が、量が、少しでも憧れた世界へと近づけてくれるなら、今更という言葉もそんなに当てはまらないだろう。ま、結局自分が納得するかどうかという自己満足でしかない。まあそれでいいじゃない。

スイッチが入ったっぽい

個人的な今の感覚を記しておく。なんかいろいろとトンネル抜けたという気がする。憑き物が落ちたというか、たぶん大丈夫だ、みたいな感覚。全くの根拠なし。こんな感じなら禁煙できるだろうなあと予感があって禁煙できているように、今スイッチが入っていてなんか大丈夫なんじゃないかなぁ、と思う。いかにも自信なさげなのは自分の気持ちなんざ浮き沈み激しくコロコロ変わるし、あれほど決心したことをあっさり裏切ってやっちゃったということは何度もあるし、まあ自分で愛想つかすほど自分に信用がない。それでもなんだが、まあ予感だけがある。それを本当にするかどうかは自分次第で、一日一日積み上げていくしかなく。じゃあ今までと違うのは何?ということも思うがその違いも全然わからん。なんとなくだ。とはいえ、実際に証明しなくては意味がない。だからこそ今ここに書いている。3ヶ月積み重ねることができたら、ひとまず本物だということにしよう。

少佐になったよ


少佐になるのが楽しみであった。少佐には特別な響きがある。なんつっても「シャア少佐」と一緒なんだから。でもちょっと言いにくいよね「しゃあしょうさ」。10回キレイに発音できたらすごいと思う。・・・くだらねぇ。

性格を変えたい私と変えたくないワタシ

新年早々仕事でやらかし、凹んだ精神状態でスタート。自分の性格に起因する失敗で、これを改善しないことには同じことを何度でも繰り返すだろうことは経験上わかっている。性格なんて変わるのか?という問いに対して、もうオヂサンである私の答えは「変わる」だ。たぶんなんだけど。

こんな名言がある。

心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる
ヒンドゥーの教え

似た言葉はマザー・テレサ野村克也監督も述べているみたい。そんな人たちが言っているのだったら事実であるように思える。まあ我が身を振り返ると変えなきゃどうしようもないところまできているし、変えようと思うわけです。まず心から。

が、ここがひねくれ者の性根で、「前向きだ!」「ポジティブだ!」「人生って素晴らしい!」「感謝だ!」「愛だ!」と臆面なく高らかに宣言できないんですよね。どうにもこうにも恥ずかしい。けっこう心では信じていたとしても。何なんだろうね、このひっかかりは。胡散臭い宗教の勧誘と一緒のものを感じてしまうわけで「けっ」と言いたくなる。まったく素直じゃない。まあそれはそれでいいのか。

心が変わるってどういうことか。たぶん何かを信じるということなんだと思う。信じることとそれを表明することは別。つーかね、こういうことって本当は10代から20代にかけてやっとくことだろう。今さらなあという思いもある。まあ恥ずかしい。それでもね。何も信じてこなかった、積み重ねてこなかったんで、こっから始めようと思うわけです。

ちなみに心と態度と行動を変えて、変わりつつある習慣がこれ。たかだか禁煙なんだけれど、本人にとってはそれでも拠りどころだったりする。

原点確認

同窓会に出席して、20年以上ぶりに友人と出逢い、何だか不思議な感覚を覚えた。すごいなとしか言いようがなくて、こんなにわんさかと人と関わっていたのだと実感。生きているというだけで色んなことが密接に絡み合って今の自分がある。因果応報なのか縁起なのか知らないけれど、手を合わせて、拝みたくなった。

そういやこういう短歌ありました。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ
石川啄木

みんなえらく見えた。
が、花は買わなかった。
妻もいないし。